解答と解説
(1) @ held B found
(2) エ (3) tried to understand (4) ウ (5) C
(6) (a) He taught the seven basic movements.
(b) Because Hideo and his students were able to share the same feelings
(7) He believed that good music could move people’s hearts.
(8) ウ
【全訳】
1992年の夏、斎藤記念フェスティバル松本が、初めて開かれた。それは10日間にわたる音楽祭で、多くの人々が、斎藤記念オーケストラによって演奏される音楽を聞きにやって来た。そのオーケストラのメンバーは全員がかつては、日本で最高の音楽教師のひとりである、斎藤秀夫の生徒であった。初日、オーケストラは、モーツァルトの「ディヴェルティメントK.136番」を演奏した。彼らが演奏している時、指揮者の小沢征爾は、静かに泣いていた。何故彼は泣いていたのだろう。
斎藤秀夫は自分の生徒に良い音楽とはどのようなものかを教えた。彼は生徒に音楽の演奏のしかたとオーケストラの指揮のし方を教えた。彼は独自の教え方を始めた。彼は、「ディヴェルティメントK.136番」を「教科書」として使い、それをくり返し演奏するように言った。彼は、指揮者の腕の動きを研究し、7つの基礎的な動きを見つけた。指揮者になりたい彼の生徒は、まずその7つの動きを学ばなければならなかった。小沢征爾は、彼の師について語って言った。「斎藤先生は私たちに、すぐれた音楽家になるための最高の基礎的な訓練をほどこして下さいました。」
秀夫は、桐朋学園音楽学校で教えた。1974年の8月、彼はガンを患っていたが、それでもなお志賀高原での桐朋学園オーケストラの夏期訓練に、加わっていた。自分の最初の授業を始める前に、彼は生徒たちに言った。「腕をうまく動かせなくて申し訳ない。」それでも彼は、オーケストラを指揮した。生徒たちは、彼の腕の小さな動きを理解しようとした。そこでの最後の夜、彼はオーケストラとささやかなコンサートを開いた。彼の具合はよくなかったが、「ディヴェルティメンントK.136番」を指揮した。その夜演奏された音楽は、秀夫と彼の生徒が同じ気持ちを分かち合えたので、特別なものであった。
秀夫は、1974年の9月に亡くなった。彼らは良い音楽は人の心を動かせると信じていた。今では彼の教え子の多くが有名になっているが、彼は決して彼のことを忘れないだろう。彼らは年に1度、斎藤記念オーケストラで会い、愛する師から学んだ音楽で私たちの心を動かしてくれる。
(1) @ was held過去時制の受動態。 B 同じ文のstudiedと同じ時制(過去時制)になる。
(2) tell+人+to不定詞で、「人に〜するように言う」。
(3) try+to不定詞で、「〜しようとする」。
(4) 文脈から考える。教え子の多くは有名になったが、恩師への思いはどうか。neverに注意して。
(5) 斎藤氏と生徒たちが同じ思いを分かち合ったコンサートとは。
(6) (a) 本文9〜10行目を参照。 (b) 本文16〜17行目を参照。
(7) 本文18行目を参照。
(8) 選ぶのは、「最もふさわしくないもの」であることに注意。