国語・小説(鹿児島県公立高校入試問題)
次の文章を読んで、あとの1〜6の問いに答えなさい。
小学校最後の試合が終わった後、六年生の加藤智は、監督である父徹夫と母佳枝の三人で野球場に残っていた。
徹夫は智に聞いた。
「中学に入ったら、部活はどうするんだ?」
答えは間をおかずに返ってきた。
「野球部、入るよ。」
佳枝が、「今度は別のスポーツにしたら?」と言った。「ほら、サッカーとかテニスとか。」だが、智には迷うそぶりもなかった。
「野球部にする。」
「でもなあ、レギュラーは無理だと思うぞ、はっきり言って。」
「うん……わかってる。」
「三年生になっても球拾いかもしれないぞ。そんなのでいいのか?」
「いいよ。だって、ぼく、野球好きだもん。」
智は顔を上げて( T )答えた。一瞬言葉につまったあと、徹夫の両肩から、すうっと重みが消えていった。拍子抜けするほど簡単な、理屈にもならない、忘れかけていた@ 言葉を、ひさしぶりに耳にした。
徹夫は立ち上がった。
「ピンチヒッター、加藤!」
無人のグラウンドに怒鳴り、智のグローブを左手につけた。
「どうしたの? おとうさん。」
「智、バットを持って打席に入れ。」
智の返事を待たずに、試合で使わなかったまっさらのボールをグローブにA 収め、マウンドに向かってダッシユした。佳枝も立ち上がって、とことことグラウンドに出てきた。
はにかんだ様子で何度か素振りをした智は、小さく一礼して打席に入った。
「三球勝負だぞ。」
「オッス。」
徹夫はマウンドの土をならし、ボールをこねて滑りを止めた。例えば山なりのスローボール、そんなものを投げるつもりはない。レギユラー組の打撃練習のときと同じように、速球を投げ込んでやる。それが、野球が大好きな少年に対する礼儀だ。
ワインドアップのモーションで、投げた。ど真ん中だったが、智は空振りした。完全な振り遅れで、バットとボールも大きくB 隔たっている。ボールを拾いに行く背番号に、「しっかり見ろ!」と怒鳴った。
二球目も空振り。
「腰がすわっていないからダメなんだ、いつも言っているだろう!」
智は半べその顔で「オッス!」と返す。叱られて悲しいんじゃない、
( U )のが悔しいんだ、と伝えるように、徹夫に投げ返す球は強かった。
最後の一球だ。手は抜かない。内角高めのストレート。智はバットを思いきり振った。快音とまではいかなかったが、たしかにボールはバットに当たった。打球は風に乗る前に落下しはじめ、佳枝の手前でバウンドした。
「ホームラン!」
佳枝がグローブをメガホンにして叫んだ。
「智、いまのホームランだよ! ホームラン!」と何度も言った。徹夫も少しためらいながら、右手を頭上で回した。
だが、智は納得しきらない顔でたたずんだまま、バットを手から離さない。徹夫をじっと見つめ、徹夫もまっすぐに見つめ返してくるのを確かめると、帽子の下で白い歯を覗かせた。
「おとうさん、いまのショートフライだよね。」
来月から中学生になる息子だ。あと数年のうちに父親のC 背丈を抜き去るだろう。D 徹夫は親指だけを立てた右手を頭上に掲げた。アウト。一打席ノーヒットで、智は小学校を卒業する。
不満そうな佳枝にかまわず、徹夫はマウンドを降りた。E ゆっくりと智に近づいていき、声が届くかどうかぎりぎりのところで「ナイスバッティング。」と言った。
(重松清「卒業ホームラン」による)
ワインドアップのモーション=全力で投げるときの投球動作。
右手を頭上で回した=ホームランの判定の動作。
ショートフライ=二塁と三塁との間に上がった平凡な打球。
1 線部A・B・Cを仮名に直して書け。
2 本文中の( T )に入る最も適当な語を次から選び、記号で答えよ。
ア すらすらと イ しみじみと
ウ しょんぼりと エ きっぱりと
3 線部@はどの言葉を指すか。本文中から一文を抜き出し、その最初の三字を書け。
4 本文中の( U )に入る適当な表現を五字以内で書け。
5 次の文は、線部Dで徹夫が最初とは違う判定を下した理由について説明したものである。( )に入る最も適当な語句を本文中から十五字で抜き出して書け。
徹夫は最初ホームランの判定を下したけれども、今の智にとっては公正な判定を下すことが一番だと考えており、そうすることが、前にも述べられているように、( )だと考えたから。
6 線部Eについて、このときの徹夫の気持ちとして最も適当なものを次から選び、記号で答えよ。
ア レギュラーになれなかったが、純粋に野球に打ち込んだ智の成長をほめてやりたいと思うと同時に、それを満足に思う気持ち。
イ レギュラーになれなかったが、速球にホームランでこた応えた智の進歩をたたえたいと思うと同時に、それをうれしく思う気持ち。
ウ レギュラーになれなかったが、その悔しさを中学で生かそうとする智の気迫に圧倒されると同時に、それを誇りに思う気持ち。
エ レギュラーになれなかったが、野球で学んだことを大切にさせたいと思うと同時に、今後技術を伸ばしてほしいと思う気持ち。